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バイリンガル。

ご存知の通り、二つの言葉を自由に使いこなす人のことをバイリンガルと呼びます。


最近「ことばと思考」という本を読みました。


この本の中では、「各言語の傾向から、ことばは思考に影響を及ぼすのか?」ということへ切り込んでいくのですが、シンプルな結論からいうと、


「ことばは思考に影響を及ぼすこともあるし、その言語にない言葉=概念だからといって他言語の話者が理解できないわけではない」というものでした。


本の中で紹介されていた実験で、赤ちゃんが急速に成長する中で、母語となる言語が身に付くにつれて、思考プロセスに変化が起こるということや、大人が他の言語の解釈ができるようになるというものがありました。


個人的にこのあたりのことは、心理学者のユングが提唱した「集合的無意識」に通じるものがあるのだろうと思います。


私はオステオパス(=セラピスト)と、フィジカルトレーナー(=運動指導)の二刀流なのですが、


実はこの二つの折り合いというか、上手い説明がなかなかできないなぁと常々感じていたのですが、この本を読んでいて気づいたのが、バイリンガルと同じなのだろうな、と。


これは、集合的無意識のような人間としての基盤を持ちながら、言語によって最適化された概念を行ったり来たりするよう、というところでしょうか。両方が母語に近いようなバイリンガルでないと気付きづらいことなのかなとも思います。


運動指導を行う時とオステオパシーによるセラピーを行う時。


片方が、もう片方に影響されることは多くあって、頭の中で言語として、また非言語として“翻訳”されながら“知識の泉”からアイデアが湧いてくることがあります。


もちろんこれは何もないところから湧いているわけではなく、広範囲な医学や運動学の知識、応用的な学問の知識、誰かが話していた断片的な言葉、自分が身をもってした経験、ふと遭遇した場面、ある国では正しいと言われているもの、ある場所では正しくないと言われているもの、そういったものの組み合わせとして湧いてきているように思います。


これらは運動指導にせよオステオパシーにせよ、「本来の身体の機能を取り戻す」という目的のために私の頭の中で起こっていることです。



ブログ画像≪とても良い本でした。この読書感想文を他のブログで書きたいなと思います。ここは文字数制限があるので笑。≫